3月11日東日本大震災が発生して一ヶ月が過ぎた4月13日、ようやく開通した東北自動車道岩槻インターから宮城県気仙沼市と仙台市若林区荒浜に向かいました。気仙沼市へは、自民党の衆議院議員、小野寺五典議員の事務所に、そして仙台市へは日本ミニテニス協会副会長として、会を代表して仙台市ミニテニス協会の荒浜支部に激励と慰問に行くためでした。
このたびの未曾有の大震災は、日本中いや世界中に衝撃が走った出来事です。自分達に何が出来るだろうか、自問自答の毎日を送っている人も多いと思います。私自身も、震災直後、すぐ現地に入ろうかと考えましたが、落ち着いて考えて見ると、ボランティアにしても自己完結出来なければ、かえって迷惑になるだろうとも思いました。東北自動車道が走れるようになって、小野寺議員事務所と仙台市ミニテニス協会の渡辺会長に連絡したところ、「是非、現地を見て欲しい」と言われ、政治家として、現地の今を知る事が将来の現地復興支援や政策に大切な事と考え出発しました。
私は衆議院議員として、党の外交部会長の時スマトラ沖大地震があり、スリランカに入りました。また、災害対策特別委員会理事の時奥羽地震があり、すぐに現地に行きました。スマトラ沖地震も、津波で海岸は壊滅的でしたが、今回は、規模が大きすぎて全体の把握が非常に難しいと思いました。
小野寺議員の気仙沼の事務所は津波で流されてしまったため、新しく街の中心にあるビルの二階を借りたところでした。ビルの一階は、津波による浸水あとが残っている状態の中、地元の女性秘書が出迎えてくれました。大変なのに、明るく頑張っている秘書さんや若いサポーターの方達に胸打たれました。
さて、仙台の荒浜クラブには出発前に支援物資の希望を伺ったところ、ミニテニスのラケットとボールが欲しいとの返事が来ました。大変驚きましたが、メンバーにお会いして理解できました。地震と津波の翌日には、メンバー全員の無事が確認できたそうです。日ごろ、ミニテニスを通じて顔を合わせている仲間意識、絆を強く感じると共に、ラケットとボールをいつも見ながら、いつかまた一緒に、という目標に向かって頑張ろうという希望を感じました。家を流されたり、海水に浸かってしまったりと大変ななか孤独にならない事、仲間がいる事が何よりも励ましになっていると思いました。
東北道が開通したといってもガソリンが心配でした。そのため少しの減りでも入れるようにして向かいましたが、ガソリン不足も落ち着いてきたようで、何の問題も無く気仙沼に到着する事が出来ました。途中の道路状況ですが、東北道の仙台南から一関インターまでは特に波を打っている所が多く制限速度が50キロに規制されていました。また福島県に入ったころからつなぎめが多くなり、80キロ規制が多くありました。東北道以外では山形自動車道で亀裂や波を打っている箇所があり、宮崎川崎インターから仙台南にかけて補修工事が数ヶ所ありました。国道47号線は、至る所に亀裂が入っていたり、段差が出来ている場所がありました。
今回、放射能検知器を持参し途中計測しながら行きました。気仙沼まで470キロを休憩所で、時には走りながら計測した結果は以下の数値です。
4月13日 晴れ 15度
栃木県 都賀 0.10マイクロシーベルト
栃木県 上河内サービスエリア 0.13マイクロシーベルト
福島県 二本松インター付近 1.38マイクロシーベルト
福島県 飯館村西方高速道路上 1.11マイクロシーベルト
福島県 国見サービスエリア 0.49マイクロシーベルト
宮城県 蔵王パーキングエリア 0.13マイクロシーベルト
宮城県 長者原サービスエリア 0.11マイクロシーベルト
岩手県 室根町 0.15マイクロシーベルト
宮城県 気仙沼市内 0.09マイクロシーベルト
放射能測定は東北道に沿って行いましたがやはり、福島県に入るとやや高くなりました。人体に影響のある数値ではありませんが原発の一日も早い終息を願います。
今回の地震による原発事故は私達に多くの課題を突きつけていると思います。特に今後の日本のエネルギー政策において脱原発をどのように進めて行くかが最重要課題と思っています。長い間、CO2削減のため様々な政策提言や議論が繰り広げられて来ましたが、現実には、目標値を決める事さえむずかしい状況が続いていました。今回のこの原発事故により、国民の意識も変わって来ていると感じています。日本人の素晴らしい英知を結集して、かならずや新しい次代のエネルギーを利用する社会を築くと確信しています。このたび被災された皆様の一日も早い復興をお祈りしています。 |