■1979年(昭和54年)
■夏の共産圏見聞、初めての家族旅行
父が突然「家族でソビエト他共産圏に旅行する」と言い出しました。 家に父親がいるという感覚が全くないほど活動的な父でしたから当然父との思いでのようなものはありませんでした。
父曰く「最近わかったことなのだが、このまま自分が死んでしまうと家族はだれも自分の事を思い出してはくれないだろう、なぜなら何の思い出もないのだから」と、そこで「子供に残してあげられることは思い出だという事が解った」と、その結果、ソビエトへの旅行となったようでした。 チェコスロバキア、ポーランド、ソビエト連邦共和国といずれも共産国家、乗り継ぎのむずかしさやポーランドからキエフという路線でソビエト入りした為、父の公用旅券が入国審査であやしまれ田舎の空港で何時間も足止めされてしまい、大雨の中解放されてホテルに着いたのは夜中という忘れられない旅となりました。 父は「自分一人では行きにくいような国にお前たちを連れて行く、その方が後々勉強になるからね」と言って父の思い出づくりの旅がスタートしたのでした。
父は「日本人はまだ力がないと思われているような小さな国こそ大事にしなければいけないよ! 援助を求めている国に対してどんなお手伝いができるのか、逆に相手から学ぶことも多いに違いない、そんな国も国連で採決権があるわけで、日本の理解者として協力してもらう日も来るだろう。末永く良い友好関係を築くべきだと思っている」とことあるごとに話してくれ、父は日本の議員があまり訪れないような国も訪ね歩きました。 アイスランドに日本の国会議員で初めて訪問したのは父でしたし、パラオの酋長さん達一行8名は春日部の自宅に泊まって行きました。父から私へと数十年もの長いおつきあいです。 今、諸外国との外交問題が表面化していますが、政治家としての判断をしなければならない時に、これらの見聞がボディーブロウで効いていることは確かで、今は亡き父に感謝しています。
■1990年(平成2年)~1996(平成8年)頃までの
■海外見聞録
1988年(昭和63年)9月父が参議院議長に就任、翌年には昭和天皇が崩御され時代が大きく動きました。
父は「子供には思い出を」の考えをそれからも着実に実行に移してくれ、数多くの外国訪問にお供しました。最も公式訪問は強行軍の為、私設秘書とでも申しましょうか、身の回りの世話をする人がいた方が便利という事情もあったようです。 1990年(平成2年)は南米「ベネズエラ、ペルー、アルゼンチン、パラグァイ、ブラジル」 1991年(平成3年)1月にはソビエト連邦共和国 1991年(平成3年)6月にはドイツ連邦共和国、ノルウェー、英国、アイルランド等 1992年に父が埼玉県知事に就任後も続きました。 1992年(平成4年)10月埼玉県友好代表団(山西省)及びさいたま新都心東南アジア視察団に知事私設秘書として同行。 1993年(平成5年)8月には埼玉県北米中南米親善訪問団の、ニカラグア共和国、メキシコ、アメリカ訪問に参加。 1994年(平成6年)10月埼玉県ミャンマー友好親善慰霊の旅に父の特別秘書として参加 母の秘書役でお供した旅も思い出です。
1994年(平成6年)母が社団法人 全埼玉私立幼稚園連合会の名誉会長として熱心に幼児教育に取り組んでいる関係もあり、8月にはヨーロッパの幼児教育事情の視察にお供しました。 1996年も母の幼児教育の視察のお供は続きます。 1988年(昭和63年)日本青年会議所春日部JCに入会し、地域国際交流委員会に所属、ネパールへの援助プロジェクトに参加し、見聞を広げたばかりでなく良き仲間が出来ました。
■スポーツで息抜き
スポーツが大好きな私はゴルフ、登山、ハイキング、卓球、空手となんでもチャレンジします。 空手は極真空手師範の蘆山先生に指導していただきました。
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